ついにやってきた!KHK800

中間一両だけですが…[後に6両導入されます

Twitterにも投稿しましたが遂に憧れのKATO京急800形がやってきました,存在を知ってから2,3年間旅行などで遠出する度に模型屋に立ち寄り中古品コーナーを漁ったり,秋葉原をウロウロしたりしていましたが発見したのは近所の模型屋です,ほら大切なものは実は近くにとか歌が何個かありますでしょ?(入荷したのは最近のようですが…)

話をもどしまして,普通列車を待てばかなりの比率でやってきた京急800も運用に入るのは残すところ後4本(11/25現在)となってしまいさみしい限りです2000形も800形もいなくなってしまったら筆者は一体何を追えばいいのでしょう気持ちはまるでルパンが死んだ時の銭形警部のようです(結局生きていましたが)とは言えいつまでも昔のことをくよくよしていても仕方ありません新1000の次に来るであろう京急の新形式(新1000も勿論いい車ですが)が素晴らしい車両であることを祈りましょう.

さてさて今回は少しダルマこと京浜急行800形を振り返ってみたいと思います.

日野原哲学

800形と言えば日野原保さん抜きに語ることはできません,何を隠そうあの名車デハ1000形の生みの親であり戦後京急の再出発にあたり重要な役割を果たした偉人であります,個人的な意見ですが800形が日野原哲学の完成形のように思います,大切なものは生かしつつ近代化し洗練されている今で言えば銀座線の1000系のような感じでしょうかそれでいて革新的な車両です.
日野原哲学の話は検索していただければ無限に出てくると思われますので少し違う話を

日野原哲学と言えば一つ目ライトや片開き扉などどうしても譲らない部分がありました,そうそれはまるでiPhoneのホームボタンのように,,,(無くなったら無くなったで慣れだと思いますよ…)ホームボタンの話はともかく日野原氏の哲学は実は徹底した合理化にあったように思います両開きドアは左右分の予備品が必要になります
とは言え少しは好みもあったと思うのです

だって見てくださいこの側面

こんなに美しい側面を持つ車両は新1000のアルミとかそのくらいではないでしょうか(偏見)戸袋窓のサイズを揃えるために一次車と二次車でガラスのサイズを変えたぐらいですから相当なこだわりがあったはずです.
日野原氏と言えば保守的なイメージがありますが実際には800形の運転台を中央に持ってこようとしたり(結果未採用となり左側となった)新しいことにも積極的に取り組んでいました,その考えの中にはいつでも
美しい車両を作りたい
という考えがあったように思います,そのなかで哲学が生まれたのだと筆者は考えています.
それからそれから,京急はいつでも塗装をコテコテテカテカに塗ってくれる会社ですので,水に濡れた800形は本当に綺麗でした.この状態を保つにはきっと並々ならぬ努力が日々つづいているのだと思いますこれからもこの良い伝統が続いて行くことを願っています.

さて

この800形をどうしましょうか,長年の内に接着剤が劣化し床下機器がぼろぼろ取れますから無くさないように気をつけなければなりません,とりあえず欠品はないようなので慎重にバラして組み直したいと思っています,将来的には編成を組みたいところですが,何せ探し始めてから3年でやっと一両ですから編成をするのには最低でもあと6年はかかる計算ですかね(年数に従ってレア度も上がることも考えなければ)とりあえず
落合の人聞こえてますか?
っと念を送りましょう,しばらくはレイアウトの引き込み線に留置する事になりそうですが最近久里工の無架線地帯然としていますので気をつけなれば…

菅原急行電鉄

京急沿線をイメージしたNゲージレイアウトを製作中の菅原急行電鉄の公式サイトです.

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